野村克也氏に父の
記憶はない。2歳
の時、戦争に行き、
3歳の時、戦死した。
貧乏で病弱の母は
一人で野村兄弟を
育てるが癌を患い
入院。兄弟を父の
知人の家に預けた。
野村少年は凄く嫌だった。
「貧乏でも親が側にいるの
といないのとでは大違い。
ヨソでは、お腹すいたの
一言だって言えないんだ」
母は退院しまた家族が揃う。
野村少年は嬉しかったし
「お母ちゃんを楽させてやり
たい」という一心で歌手を
目指し俳優を目指しそして
プロ野球選手を目指した。
しかし母は大反対「こんな
田舎で育ったお前があんな
きらびやかな世界でやって
行けるわけがない。就職し
て堅実に暮らしなさい」と。
3年の期限を設けようやく
プロ入りを許された野村氏。
月給7千円から、合宿費の
3千円引かれ残りから千円
を毎月、母に仕送りした。
その後、野村氏は大成功。
仕送りも欠かさなかった。
母は野村氏に言う「お前
が幾ら仕送りをくれても
一番最初に送ってくれた
千円に勝る大金はないよ」
野村氏が送ったお金は母が
64で亡くなるまですべて
貯金してあった。野村氏が
いつか金に困った時の為に。
私たちは貧しかったが
心まで貧しくなかった。
母の愛情に育まれ前向き
に夢を持って成長できた。
大切なものは形ではなく、
愛情という無形のものだ。
野村克也
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親とは良い思い出も
悪い記憶もあるけど
愛情というものが
少しずつ分かってきた。
理想的でも完璧でもないけど
お父さんお母さんありがとう。
感謝。
本気で夢を叶える会
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